こんにちは。バルーンデザイナー・アーティスト・パフォーマーの神宮エミと申します。

子ども・ファミリー向けに、お客さんの前で作品をつくるバルーンショーやワークショップなどのパフォーマンスをしたり、バルーンで空間を彩る装飾やフォトスポットなどの造形物を作ったりしています。また、アーティストとしては、バルーンを使った衣装の制作、海外の個展でバルーン作品の発表なども行ってきました。

【写真】バルーンで作られた衣装を着て子どもたちに風船を配るじんぐうさん

バルーンパフォーマンスで子どもたちに風船を渡す神宮さん(提供写真)

【写真】風船で作られた衣装を着たモデル2人と写る神宮さん。2018年にフランスのパリにて撮影。

2018年に世界ツアーで訪れたパリにて撮影。モデルが着用している衣装は、神宮さんがバルーンで制作したもの。
(提供写真:photo Shizuka Sherry hair&makeup Mika Matsumura)

実は私は、2年前に「もやもや病」という、手足の麻痺やしびれ、言語障害といった症状が表れる原因不明の難病を患いました。

ある日突然症状が表れて、自分でも何が起こったのか分からないまま入院することになったり、発症してしばらく日数が経ってからようやくもやもや病だと正式に診断されたり、とても不安定な日々を過ごしました。

しかし、今では手術も完了し、もやもや病と付き合いながら前向きに生きていますし、アーティスト活動にもその経験を活かしています。

今回は、私が難病・もやもや病と向き合い乗り越えた経験についてお話させてください。

学生時代から「エンタメ」にのめり込み、バルーンの世界へ

私は、幼少期からエンターテイメントの世界に夢中でした。母子家庭だったのですが、お母さんは自営業で飲食店をやっていて、家に帰ってくるのが遅かったため、小さい頃からテレビを見て過ごす時間が長くありました。なので、テレビから受けた影響はすごく大きいです。

【写真】椅子に座り穏やかな表情で話すじんぐうさん

例えば、芸能人の格好を真似て児童会で学校を盛り上げたり、街を舞台に暗号解きゲームを仕掛けて友達に参加してもらったり。そういった私の行動は、どれもテレビ番組の影響でした。子どもの頃から、何かを考えて企画を作るのが本当に好きだったんだなと思います。

また、絵が大好きなおじいちゃんや、文房具屋さんの娘であるおばあちゃんとも一緒に暮らしていたので、アートやカルチャーに囲まれて育ちました。

大学時代には、ファッションショーイベントを企画するなどさらにエンタメの世界にのめり込みます。そして、大学卒業後は「役者になりたい」と思い演劇の道に。大学で小学校教員免許を取るほど子どもと接することが好きだったので、児童演劇の劇団に所属し、小学校を訪問して子どもたちの前でお芝居を披露していました。

そして27歳の時、演劇活動の傍ら空いた時間を使って住宅展示場の風船配りのアルバイトを始めたことが、バルーンに出会ったきっかけです。

時間をかけて人の心を動かす演劇とは対照的に、バルーンには一瞬で子どもを笑顔にすることができる魅力があり、その様子は私の目にはまるで魔法のように見えました。そこからバルーンに惚れ込み、役者を辞めてバルーンパフォーマー、バルーンアーティストとして活動を始めていくことになります。

【写真】バルーンで作品を作り始めるじんぐうさん。まずは顔のパーツから作り始めた。

バルーンを使った空間デザインやイルミネーションでスペース一帯を装飾したり、ファッションショーや企業イベントなどでバルーンファッションを制作したり。そのほか、コンテンポラリーダンサーとコラボした新しいパフォーマンスアートを披露したりと、バルーンの特性や素材、形状を活かして、さまざまなコンセプトをバルーンで表現し、多方面で活動しています。

突然表れた症状に、不安を感じて過ごした10日間

もやもや病の症状が突然表れたのは、2020年4月末頃、35歳の時でした。

その時期は新型コロナウイルスが蔓延し始め、Zoom飲み会が流行っていた頃。急に自宅で「呂律が回らない」「足の力が入らない」といった症状が5〜10分ほど続きました。一緒に暮らす夫に今起きている症状を説明しようと思っても、うまく話せなかったのです。でも、そのあとは何事もなく落ち着いたので、その日も夜遅くまでZoom飲み会に参加するなど普通に過ごしていました。

【写真】当時を振り返りながら話すじんぐうさん

ただ、翌日になっても前日の異変が気掛かりでした。

やっぱり昨日の出来事は何かおかしい。

そのまま流そうと思えば流せたのですが、不安が拭えなかったので、自ら病院で診療を受けました。すると、そのまま緊急で入院することになったのです。

本当に何が起こるか分からないので、ベッドから一歩も動かないでください。検査が終わるまでは絶対安静です。

医師からはそのように告げられ、コロナ禍のゴールデンウィークに始まった入院生活のあいだ、家族である夫にも会うことができませんでした。体調は正常なのに、ベッドの上でただただ横になる日々。動いたら危険だという判断のもと、病院からの指示で身動きが取れません。自分1人では何もできなくなり、全て看護師さんに面倒を見てもらわないといけない突然の状況に、かなりのメンタルダメージを受けました。

まだまだバルーンでやりたいことがいっぱいあるのに、今までのようにできるのかな……。

【写真】テーブルの上に置かれたじんぐうさんの手。指先が少し重なっている。

夜中に1人で泣いたり、看護師さんに相談したりしたこともありました。幸い、この時に看護師さんや友人からたくさんの励ましの言葉を頂いたので、なんとか乗り越えることができたと思います。検査の結果、医師からはこう診断されました。

脳梗塞ですね。もやもや病の可能性もありますが、正式にはまだそうとは判断できません。手術をするのはリスクがあるので、薬を飲んで様子を見ましょう。

脳梗塞とは、脳の血管がつまることで血流不足になり、脳細胞が壊れてしまう病気です。もやもや病も、血管が細くなることで脳の血流不足を引き起こすので、脳梗塞になる可能性もあります。

診断の結果を受けて、怖くて不安になりました。今まで入院も病気も経験したことが無かったので、今後バルーンデザイナーとして変わらず仕事ができるのか、もし子どもを産みたいと思ったときにその選択肢を取ることはできるのかなど、不安が募るばかりでした。

振り返ってみれば、2019年くらいからたまに手が痺れていたことを思い出しました。しかしその頃はバルーンの活動がものすごく忙しい時期で、寝ずに風船を作って作って作って…という状況で、腕を酷使していました。だからその当時は、「腱鞘炎かな?」という程度にしか受け止めておらず、脳の異常から来る手の痺れの可能性があるとは全く思っていませんでした。

【写真】じんぐうさんが制作で使用する色とりどりの細長い風船。引き出しの中に数多くの種類が入っている。

また、さらに思い返してみると、2017年くらいから目の前がチラチラすることもありました。その時も病院に行きましたが、原因は不明で「ストレスなどいろんなところからきている症状です」と言われたのを覚えています。

発症前の2〜3年は仕事も忙しく、他にも身体に不調が出てきているような時期でした。3週間ほど入院して安静に過ごしたところ、調子がよくなってきたので手術はしないことに決まり、薬が出されて無事退院することができました。

定期検診が、もやもや病の発見につながった

退院から約2ヶ月たった2020年7月頃、再び症状が表れました。唇や指先など部分的な痺れが短時間で起こることは続いていたのでそれかと思ったのですが、この日はだんだん身体中が痺れてきました。「ちょっとおかしいかも」と夫に伝えて、救急車を呼んでもらい、病院へ行きました。

その後、知り合いから別の病院を紹介してもらえることになり、そこでセカンドオピニオンを受けました。診断では、最初に処方された薬が、実は私に効果が出ていなかったと発覚。その薬は、ごく稀に効かない人がいるらしく、ちょうど私がそうだったようです。

新しい病院で処方された薬に切り替えると、たまにちょっと痺れを感じることはあったものの、薬の効果が出てきたおかげで普通に仕事ができる状態になりました。

しばらく体調の様子を見ることになり、その後も継続的に病院へ定期検診に通っていました。

そんななか、「子宮がん検診って今まで1回も受けたことがないけど、何かあったら怖いな」と感じるようになったため、その年末に私は初めて子宮がん検診を受けてみることに。すると、12センチの子宮壁にできるこぶのような良性の腫瘍である子宮筋腫が見つかったのです。特にそんな自覚や症状はなかったので、それまで全く気付かず、まさか自分にそんな大きな筋腫があるだなんて思いもしませんでした。

「疑問に感じること、危ないと思う要因は全て取り除きましょう」と医師と相談し、2021年6月に子宮筋腫の摘出手術を受けました。

このタイミングで医師に、「もう一度、本格的にMRIで検査をした方がいい」とさらに検査することを勧められます。

【写真】顔の前で両手を重ねながら話すじんぐうさん

医師の判断を受けて検査入院をし、「造影検査」という、脳の血管に造影剤を注入し、血管の細部までよく見える検査を受けました。

怖さを乗り越え、手術への前向きな決断

右脳の血流があやしいです。これは、いつ倒れてもおかしくありません。

造影検査によって、初めて症状が出てから約1年と数ヶ月が経った2021年7月に、私はもやもや病と診断されました。

もやもや病は、脳に血液を送る太い血管が狭くなることで脳が血流不足になり、それを補うため細い異常な血管がいくつもできてしまう病気。その血管の様子を造影検査で見ると、煙が立ち上るように「もやもや」とした状態に見えることから名づけられたそうで、患者数は人口10万人あたりで6〜10人程度いるといわれています。

進行性の病気であり、私の場合は右脳側の進行が早かったようで、動脈の血流がどんどん無くなっていく恐れがありました。「すぐにでも手術をしましょう」ということで、翌月に症状の進行が早かった右脳手術を受けることに。

手術を受けてみて、私の正直な感想は「頭や脳の手術ってこんなに楽なの?」という感覚でした。痛みはそこまで酷くなく、回復も早くて、手術した次の日から歩くこともできていたからです。

だったら、もう左脳の手術までやってしまおう。

もやもや病の進行も怖かったですし、何も症状を感じない今の状態のうちに治療を済ませたかったので、私は次の手術に対してものすごく前向きでした。

【写真】穏やかな表情でインタビューにこたえるじんぐうさん

そうして受けた2回目の手術は、術後がかなり痛くて辛かったです。また、左脳は言語を司っているため、手術直後は「名前は言えますか?」「ここはどこですか?」などの質問に、スムーズに答えられないことも。「あれ、これは結構やばいかな……」と思いましたが、手術後は少しだけそのような影響が出るようで、幸いにも退院する時までにはその症状はなくなっていました。

もやもや病の手術はこの2回で完了。今は、脳梗塞が再発することを防ぐ目的で、血液が詰まらないようにサラサラにする「抗血小板薬」という薬を毎日飲んでいます。これは血液を固める血小板の作用を弱くする薬で、一生飲み続けるそうなので、これからの人生はこの病気とも付き合い続けることになります。

退院後、自身も変化しながらバルーンの活動を再開

8月に治療を終えて退院してから、10月にはすでに仕事を本格的に再開させていました。関わりのある方にはメルマガで当時の自分の状況を逐一報告をしていたので、クライアント企業の方からも「神宮さん大丈夫ですか?」と心配の声をいただけていたのは、とてもありがたかったです。

身体面の変化については、生活の中の本当に細かなところで「若干違和感があるかも……」と感じるときはあります。例えば、バルーンの仕事で子ども達にバイバイと手を振るときに、少しだけ左右の振り方に差があるように感じるなどの些細な違和感です。ですが、生活や仕事に何か支障があるかと言えばそうではないので、特に目立って気になることはありません。

一方、心理面では大きな変化がありました。特に1回目の手術が終わった時の私は、手術がうまくいって不安が取り除かれ、すごく前向きで、やりたいことが溢れ出てくる状態でした。 

「作品をつくりたい」「新しい衣装を着てパフォーマンスがしたい」

なぜだかはっきりとは分からないのですが、仕事に対してすごくモチベーションが高まっていました。会う人に「エミちゃん、どうしたの?」と言われるくらい。

【写真】くしゃっとした笑顔ではなすじんぐうさん

その時はアーティストさんと「もやもや」をテーマにコラボしたり、100歳の誕生日を迎えた私のおばあちゃんと一緒に作品を作ったりと、いろんな形で作品を生み出していきました。

そして、徐々に「この病気のことも発信したい」という気持ちが生まれてきたのです。

いま、私に何ができるか。むしろ、バルーンアーティストがもやもや病になっているこの状況がレアなのではないか。私だったら何を表現するか。

そんな気持ちがどんどん膨らんで大きくなっていき、心も身体も動いていきました。

思えば入院している時からヘアメイクさんに「私、作りたくてしょうがなくてさ。退院したら、一緒に作品づくりをやってもらってもいいかな?」なんて連絡をしていたので、もとから病気について表現したい気持ちがあったのかもしれません。

こうして、私自身も一緒に写真に登場する「もやもや病」という作品を制作することに。今までは、自分をモデルにして作品を制作することはなかったのですが、この作品では私自身が出ることに意味があると思いました。

撮影の前日からドキュメンタリーを撮ってくれる方も見つかっていたので、自分の思いを言葉にしながら、強い気持ちで作品撮りすることができたように思います。「私と同じもやもや病の人を勇気づけたい」という思いで作品を作り、撮影に臨んでいました。

【写真】もやもや病をテーマにしたバルーンアート。赤い細かい風船で脳の血管を表現している。白い衣装を着たモデルはじんぐうさん。

「もやもや病」をテーマに神宮さんが制作したバルーンアート。神宮さんはモデルも担当した。
(提供写真:photo Takuya Okamoto hair&makeup Mika Matsumura)

でも、多くの人から「もやもや病だけに留めないほうがいいよ」「良い作品だから、もっと多くの人に啓蒙できるメッセージにしたほうが、より広く作品を届けることができるんじゃない?」と声をかけていただきました。そんなアドバイスを受けて、「もっともっと私の思いを多くの人に届けてみよう」と考えはじめ、病気をしてみて感じた健康診断や脳ドックで予防・早期発見することの大切さ、脳の病気への注意喚起などについて文章を書いて、作品と共にSNSで発信してみました。

すると、すごく大勢の方から反響がありました。「作品を見て、脳ドックに行きました」とか「家族がもやもや病だと診断されそうです」など、もやもや病の人からそうでない人まで、いろんな人から連絡がありました。もやもや病に限らず、他の脳の病気への注意喚起や、予防・対策の促しなど、当初より大きな意味を持った作品になったのではないかと思います。

【写真】やや顔を上げ、遠くの方を見ながら話すじんぐうさん

私が病気について答えられることは少ししかないし、専門的なことはちゃんと信頼できる病院に行って聞いたほうがいいのはもちろんですが、病気になって不安な気持ちは私も経験したのでよく分かります。今は、少しでも私の作品を見て何かにつながれば、何かのきっかけになればいいなと思っています。

正直、病気に関する啓蒙活動に関してはもやもや病の作品を発表して一旦終わろうかなという気持ちでいました。ただ、いろんな方から作品に関してご連絡いただくことで、まだ自分にできることはあるのかもしれないと思うようになり、今後何をするかについて考え始めているところです。

バルーンで子どもに喜んでもらえることが、私の大きな心の支え

病気とは一生付き合い続けていくことになるけれど、前向きな気持ちでいられるのは、バルーンの仕事が私の支えになっているからだと思います。私のなかで、バルーンの存在はやはり大きいですね。

【写真】バルーンアートを作るじんぐうさん。顔のパーツを持ち上げ、光に当てながら調整している。

実は、私がもやもや病になる前、そしてコロナ禍になる以前の2019年に、バルーンの仕事をパフォーマンスからアーティスト活動の方へとシフトさせていこうと考えていました。

元々、子どもたちを喜ばせるパフォーマンス活動からこの世界に入ったのですが、次第にコンテストへの出品や海外での個展開催など、アーティスト活動の比重が大きくなっていきました。パフォーマンス活動でお金を稼ぎ、それを自分の作品づくりへの資金に当てているような状況です。

徐々にアート活動が活発になっていく中で、パフォーマンスの仕事があることでアーティスト活動のチャンスを逃してしまうこともあったし、どちらも同じ私なのにその二つをきっぱりと分けてしまったことで苦しんでいた部分もあったのです。

だから、子どもに向けたバルーンパフォーマンスは、若いメンバーに任せていこうかなと考えていました。

しかし、私が病気をしてしまったことで、自分のバルーンアーティストとしてのあり方について考え直すようになりました。

特に大きなきっかけは、最初に症状が出て入院することになった病院で、お世話になった皆さんのために1日風船を作ったこと。その時に、医療従事者の皆さんや、入院しているおじいちゃんおばあちゃんたちが想像以上に喜んでくれたのです。認知症の方が笑顔になってくれたこともあり、改めてバルーンが持つ魅力のすごさを実感しました。

そして2020年冬、私は病気の子どもたちに風船を贈る「小児病棟支援プロジェクト」を始めます。

これはコロナ禍により、不安な想いを抱えながら病気と闘っている子どもたちや医療従事者の皆さんに笑顔と元気を届けたいと、私の活動の中で生まれたキャラクター「lucaemma(ルカエマ)」を贈るプロジェクト。クラウドファンディングで頂いた支援のもと、全国63ヶ所の小児病棟にlucaemmaバルーンを寄贈しました。

【写真】完成したバルーンアートのルカエマ。ルカエマを見ながら、じんぐうさんは拍手をしている。

もやもや病と診断されてからも継続して子どもたちへのプロジェクトを行っていたことで、私の考えは自然に変化していきました。

子どもに喜んでもらえることは、私の活動において失ってはいけない大事な一つのポイントなのかもしれない。

パフォーマンスで誰かに風船を配って「ありがとう」と言ってもらえる時間こそが、アーティストとしての作品づくりの原動力やモチベーションになっていくのではないだろうか、という思いも芽生えました。なので、アーティストだけでなく、パフォーマーでもある自分も大事にしていきたいと決めたのです。

病気になってなかったら、そしてコロナがなかったら、病気の子どもたちに風船を配るプロジェクトも生まれなかったので、パフェーマンス活動もやめてしまっていたかもしれません。様々な経験によって、「子どもたちにエンタメを提供することが、私の中では大事なことなんだ」と再認識でき、今はその時間がただただ楽しいです。

何があったとしても、それは私を作り上げる大切な一つの要素

もやもや病になったことで、私の考え方や人生観は大きく変化したように思います。

1回目の手術後は、バルーンへのモチベーションがかなり高まって、「作品を作りたい」という気持ちが溢れ出すぎていました。ですが、今考えると、作品づくり以外の発信などの部分が疎かになってしまったこともあったなと反省しました。

作品づくり自体はもちろんですが、たくさんの人に協力していただいている分、丁寧にプロジェクトを組み立てて実現していくことで、より伝わるものもあったかもしれません。

生活のなかで具体的に変化したことは、ちゃんと寝ることです。今までは寝ないで制作をすることも多々あって身体に負担をかけすぎていたので、心身の健康のためにも必ず家に帰って寝るようにしたり、前泊してホテルで作ったりなど、余裕を持って制作や準備をすることを心掛けています。

【写真】景色を見ながら佇むじんぐうさん。近くには小川が流れている。

「家族」というテーマについても考えるようになり、これまで仕事一筋に生きてきましたが、今は自分の子どもが欲しいなという思いも芽生えています。今までは仕事が大変だし、夫婦仲も良いので、2人でずっと過ごしていく生き方もいいのかなと思っていました。

しかし、コロナで時代が大きく変化し、そのうえ難病を患い大きな手術をしたことで、生きるということの尊さを強く感じました。人生一度きりだから、新しいチャレンジでもし授かることができたら、子どもを産んでみたいという気持ちが湧いてきています。

また、これらのやること・やりたいことの順番をつけることも意識するようになりました。実現したいプロジェクトややりたいことはたくさんあるけれど、今はまず子どもを産みたいという気持ちが優先。それから、40歳でもう一度パリコレでの作品発表を目指したいと思っています。これまではやりたいことを並べて「横軸」でいろんなことを考えていましたが、今は時間の流れを意識して「縦軸」で人生を考えるようになりました。

私はこれまで、目の前のことに常に全力で、今を生きるために動いてきました。その考え方は今も大事だけど、全部を1人ではできないので、順序を決めて、自分に無理をかけすぎず、チャレンジを続けられたらいいなと思っています。

【写真】緑に囲まれた公園で、空を見上げるじんぐうさん

私は、人生において色んな経験をするからこそ、1人の人間そのものがもはやアートなんじゃないかと思っています。

振り返ると私は昔からこのような考え方を持っていたような気がします。そのきっかけの一つは、高校生の頃に大好きな家族が亡くなってしまったこと。今まで元気に一緒に過ごしていても、死んでしまったら、もうお話しすることも笑い合うこともできません。この時に初めて近しい人が亡くなり、とても悲しかったです。だから、一度きりの人生、明日死んでも大丈夫と思えるくらいに一瞬一瞬を生きていたいという気持ちがあります。

きっと誰しも人生には、向き合わないといけないことや悩みがあると思います。でも私にとっては病気は悩みごとであると同時に、自分に影響を与えてくれるもの。

何があっても、全て自分の糧にしかならない。この病気も、神宮エミを作り上げる一つの要素なんだ。

今はそういうふうに思います。だからこれからも、もやもや病は私の要素の一つと捉えて、向き合い続けていこうと思います。

歩みを止めて心や身体に耳を傾けることで、人生が豊かになれるチャンスがある

難病になった私が皆さんに伝えたいことの一つとして、自分の心や身体に耳を傾けることの大切さがあります。

多くの人は、「自分が病気になるなんて」「まさか難病になるなんて」と思っているかもしれません。しかし、今回の経験で、「自分は健康だから大丈夫」だと思っていても、病気はいつ来るか分からないということを強く感じました。

自分自身の身体の異変って、自分にしか分からないことだと思います。

「ちょっとおかしいな」「いつもと違うな」

そう感じたら、歩みを止めて身体に耳を傾けてあげることが大切なのではないでしょうか。「日常が忙しくてそんな余裕がない」という方もいると思うのですが、病気になってしまって、気付くのも遅くなってしまったら。そして、もし何かあったら……。それはとても悲しいし、とても辛いことです。

“自分の心や身体に耳を傾ける”ことはすごく大事だと思うので、ぜひ忙しいなかでもそんな時間をつくってほしいなと思います。そこには、自分の人生が豊かになれるチャンスがまだあるかもしれないから。

【写真】背中を向け小川のそばを歩くじんぐうさん

それから、もしも本当に受け入れがたい現実が突然やってきたときには、無理に乗り越えようとはしなくてもいいのかなと思います。だって、無理をしたところで、辛いとか苦しいという事実は変わらないですよね。

でも、苦しいときにもご飯が美味しく感じたり、人とお話しすると気持ちが楽になったりする瞬間があると思います。私は症状が表れた最初の頃、本当に辛いときは夜に病室を抜け出して、ナースステーションの前で、スマホで大好きなバラエティ番組を観ながら小声で笑ってました。笑えてる自分にホッとしたんです。

そんなふうに、辛い時も、小さな楽しみや好きなことを大事にすると心が楽になるんじゃないかなと思います。
 
これから先も、いろんな経験を通してたくさんの幸せを感じられるように、怖がらずに挑戦していきたい。そして、家族をはじめ、周りの気にかけてくださる全ての人に感謝を忘れずに、精一杯生きていきたいです。

関連情報:
神宮エミさん ホームページ Instagram
小児病棟支援プロジェクト ホームページ

(撮影/川島彩水、編集/工藤瑞穂、企画・進行/小野寺涼子)